豊かな自然で暮らすタイ人がコーヒーを育てる様子を間近で見てきて思うこと コメントする / 未分類 / By couser どうも、couserのひとみです。今日もコーヒー飲んでますか。というわけで今回はコーヒーのお話。ハンドドリップで飲むコーヒータイムの格別さを知ってる人も多いと思いますが、この時間は本当に贅沢な時間だなぁといつも思います。「コーヒーを注ぎながら自分にも意識を注ぐ時間」とでも言うのか、ハンドドリップ中は一種の瞑想タイムです。 上手く淹れられたときは単純に喜びを感じるし、その後のコーヒータイムもより贅沢なひとときになります。「あ、上手く淹れられなかったな」という日もじゃあ次はこうしてみよう、と研究意欲が湧きます。こんなにも日常に溶け込んだコーヒー習慣ですが、以前はそれほど飲むことはありませんでした。とあるきっかけですっかり日常に。それがコーヒーを育てているタイ人の友人ができたこと。 彼らはカレン族であったりアカ族であったり、豊かな自然が残る山々に暮らしていて、森を守りながらコーヒーを育てています。超々個人的な意見でいうと、彼らの暮らしがこれからの時代のスタンダード!とか思っちゃったりしています。もちろん、都市やテクノロジーを否定するわけではありません。でもベースにあるのは自然と調和した、見える範囲で循環する暮らし。現代はあまりにもブラックボックスが多過ぎたり細分化されすぎてしまって、何が何だかわからなくなっていますよね。今が時代の転換点であることは誰しもが感じていると思いますが、じゃあどういう方向へ進むんだろうと想像すると、誰がつくったかわかるものを使ったり、食べたり、自分が自分でいられる環境で暮らしたり動いたり、 そういうシンプルな世界かもしれません。脈々と守り続けてきた彼らの暮らしにはそういった要素が含まれていて、だから個人的に魅了されているし、一緒に行ったことのある友人の多くも本質的な部分で心動かされている模様。そういった暮らしの紹介も続けていきますが、目に見えるプロダクトとしてコーヒーを紹介していきたいと思っています。お店で飲めるだけではなく、オンラインでも購入できるようにECサイトを準備中なので乞うご期待。 さて、日本で今、流通しているコーヒーの大部分はプランテーションで栽培されたりある程度オートメーションされています。それはそれで現代の暮らしに根付いているし、産業として成り立っているので多くの人に役立っているとは思いますが、同時にどこか味気なさも感じます。規模や効率を考えれば、色々な豆を混ぜてしまうのも頷けますが、シングルオリジンという言葉が浸透してきているように、畑や生産者によってコーヒーの味は違うのが自然です。 コーヒーカップをのぞけば、そのコーヒーを育て、加工した人の顔が見えますか。 そんなコーヒーは日本でほとんどないでしょう。コーヒーに限らず身の回りにあるもの、暮らしの中で触れるものほとんどすべてがそうかもしれません。何から何まで見える必要もないですが、心が通ってないものを食べたり飲んだり使ったりしていると、自分自身もだんだん味気なくなります。幸いなことに、彼らの村へ足繁く通い、彼らの暮らしを同じ目線で体験させてもらったので、コーヒーを飲んでいると、チェンマイのコーヒー畑が浮かんできて、自然豊かな森の中でコーヒーチェリーを摘み取った時間を思い出したり、真っ赤に熟したコーヒーをばっと広げて乾燥させている風景が横切ります。心まで温かくなる大切な時間です。と、ここまで来ると想いが強過ぎて逆に暑苦しいかもしれませんが笑、仰々しい言葉を使うまでもなく、日本で彼らのコーヒーを紹介できることは何よりも楽しみです。また、こんなご時世なのでいつ実現するかわかりませんが、タイでコーヒーピッキングツアーを実施したり、彼らを日本へ招待して話を聞いたり、実際にコーヒーを淹れてもらったり、想像するだけでワクワクします。本格的に販売するまでには、もう少し時間がかかりそうですが、続報を楽しみにお待ちください。